高麗人参の歴史は?

高麗人参の起源

高麗人参は古来より万能薬・不老長寿の薬として大変重宝されてきました。その高い薬効から「神草」とも呼ばれるほどです。生のまま食すことも可能ですが、補血強壮剤や漢方薬としても長く使われてきました。
中国や韓国などでは4千年以上前から病気の治療や滋養強壮作用を期待して用いられており、古代中国では皇帝が滋養食として珍重していました。こんなにも長い間用いられてきたということは高い薬効と安全性の証明でもあります。
文献に初めて高麗人参が登場したのは元帝時代の「急就章」であると言われています。その後5世紀末の中国で著された世界初の薬辞書『神農本草経』にはさらに詳しい効能などが記され、人参は寿命を延ばす効果がある等最上の生薬であると紹介されています。また同時期の『名医別録』には良質の人参は高句麗より来るとされています。そして高麗人参の生産は中国から朝鮮半島へと移って行きました。

日本に渡った高麗人参

高麗人参が日本に渡ったのは8世紀であるとされています。当時の高麗人参は限られた地域しか自生しない「山参(さんじん)」と呼ばれる野生のものを収穫していたため非常に希少価値が高く、一般庶民には入手できないほどの高価なものでした。
『続日本記』によると30斤の高麗人参が天平11年(739年)に朝鮮半島の根元付近の渤海という国から日本の聖武天皇に献上されました。それが日本に初めて持ち込まれた高麗人参です。そして日本からは返礼として銀を送り、高麗人参と銀を交換する貿易が始まったのです。
高麗人参の種を持ち込んで栽培するようになったのは江戸時代からと言われています。特に徳川家康が高麗人参を愛飲していたことは有名です。戦国の時代人は30歳~40歳程で亡くなることも珍しくありませんでしたが、家康は非常に健康に気を使っていたためか75歳という長寿を全うしたのです。そして八代将軍吉宗が即位した頃からついに日本でも高麗人参の栽培が始まりました。吉宗が各地の大名に高麗人参の種を送り栽培を奨励した際に「御種」と呼ばれたため、高麗人参のことを「御種人参」とも呼ぶようになりました。

そもそも高麗人参とは

高麗“人参”という名前から人参の一種であると間違われることがありますが、実は全く違う種類です。高麗人参は和名をオタネニンジンと言うウコギ科の植物ですが、野菜炒めやシチューなどに使われる一般的な人参はセリ科に分類されます。元々は韓国や中国北東部などの山岳地帯に自生していましたが、人が入ることのできないほどの山奥に育つため収穫することが難しく大変貴重なものでした。そのため現在市場に出回っている高麗人参はほとんどが栽培されたものです。
高麗人参は根が多く、何となく人の形に見えないこともないですが、これが高麗人参の名前の由来であるとも言われています。

高麗人参の栽培と流通

高麗人参は中国や韓国・日本で栽培されています。しかし栽培方法は非常に難しいのです。種まきから収穫するまでに4~6年もの長い期間が必要であること、同じ場所で繰り返し栽培できないことがその理由です。そして高温多湿を嫌うため涼しく乾いた気候で、降水量や降雪量が比較的少ないという限られた条件下でなければ育てることができません。中でも韓国は気候が高麗人参に非常に適しており、質の良い高麗人参を選ぶなら韓国産の6年ものがおすすめです。ちなみに国産の高麗人参は長野県や福島県、島根県で栽培されています。
近年では1960年頃に発見された「サポニン」という成分に注目が集まり、滋養強壮・体質改善効果に期待が高まっています。高麗人参は今でも高価なものですが、現代ではドリンク剤やお茶、お酒や飴など一般人が利用しやすい形で広まり手に入れやすくなっていったのです。


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